介護のすすぬ

義親と実親の介護を通して学んだこと

備忘録 vol.65

備忘録 vol.65

 

毎朝、デイまでの準備に義実家に通う日々。

 

こんなに毎日出かけていても

「もうすぐデイのお迎えが来ますよ」と声をかけないと

何にもしないし、していない。

 

物理的に出来ないことも増えてきたけれど

着替えなければ、ご飯を食べなければ…

そんな気はさらさらないですのです。

 

しなければいけいないことっていうのは

どうやら本人にはないのです。

 

毎日繰り返されることでも

本人に気がないということは

そういうことのようです。

 

本当は、こんなに毎日デイに出かけのは

義母だって嫌なんだと思います。

 

それでも、ピンポンとチャイムが鳴ると

「来た!」と言って動きます。

お迎えに来てくれるのは嬉しいという思いはあるのです。

 

なので、嫌だと駄々をこねることはないです。

そこは本当にありがたいと思います。

 

玄関を出る時には

「行ってくるわね〜」と言い

車に乗り込むとにこやかにバイバイと手を振ってくれる。

 

行けるところがあるっていいと思います。

そこに行かなければ、1日一人っきりで過ごすのですから。

 

認知症、それなりに進行形。

 

でも、この程度ですんでいるのは

デイの力もあると思います。

 

本当にありがたいと思います。

 

2016.6

 

備忘録 vol.64

備忘録 vol.64

 

毎朝、デイのお迎えが来るまで

二度寝?三度寝?している義母を起こし

着替えを手伝って、食事をとらせて

時間があれば、歯磨きや髪の毛をとかしたりと

出かける準備をヘルプする日々。

 

そんな慌ただしい朝の生活も

気がつけば、2ヶ月を超えた。

 

毎日毎日、GWも休日もなく

週末だけが解放されるという日々を送る。

 

週末に自分の心の開放のため

趣味でもある大好きな音楽に浸りに出かける。

 

週末、開放されなくなったら

ちょっとしんどい。

 

 

この仕事、嫁だから無料でご奉仕ですが

ヘルパーさんにお願いしたらいくらになる?

なんてせこいことも思わないでもない。

 

やはり、疲れていく心の解放場所は必要。

 

 

2016.6

 

備忘録 vol.63

備忘録 vol.63

 

やり切れなく思うのは

私がいない時の義母のお世話。

 

私は自分の実家に老齢の父を残しているのに

義母のお世話があるため、実状として年に10日ほどしか帰省できず。

 

それにもかかわらず、私の留守中に義母を置いて、

「どうしても出かけなければならない状況になった」

そういう状況が義弟に発生した時に

困惑するのはわからなくはないが

それを私に相談されてもね…。

 

相談するなら、私ではなく

夫とその他の兄弟でしょう…。

 

まあ、都合上、一緒に暮らしている義弟からしたら

そういった人と人との調整も、

案外煩わしいのだと察しないでもないけれど

あなた方の親なんだから仕方ないと思ってください。

 

そういうのがわかっているから

私も帰省以外ではどこにも泊まりには出かけないのですよ。

 

息子の住む地域にだって、本当は出かけてみたいです。

夫がメールしてきた台湾だって

行けるものなら行きたいです。

 

せめて、年に10日ほどしかない帰省は

母の命日も挟んでいるので

気兼ねなく行かせてください。

 

2016.6

 

 

 

備忘録 vol.62

備忘録 vol.62

 

義母、庭仕事が好きだったせいもあって

出かけるときに通る玄関先のツツジの植え込みの

枯れた花が気になる。

 

なので、デイのお迎えが来て、これから出かけるというのに

立ち止まってお花摘み。

 

デイのない、この上ないお天気のある日。

 

いいお天気なので、

「いつも気になっている玄関のお花を摘みますか?」

そう声をかけるも

 「そんなことするわけないじゃない。」

 とにべもなく断られてしまった。

 

目の前にあることしか気にならない。

今、この状況下で見えることのみ興味の対象。

 

また、明日、デイに出かけるときには

枯れたお花が気になって立ち止まってしまうのだろうと思う。

 

 2016.6

備忘録 voi.61

備忘録 vol.61

 

義母が家に来るようになった最初の頃

うちで使っているランチョンマットを持って帰っていたことがあった。

 

私のタオルハンカチも持って帰ったことがあった。

 

息子宛の郵便物も開封して、目を通してから、

そのままカバンに入れて持って帰ったこともあった。

 

宅配で届いた夫のサプリメントを、

デイのカバンに入れたこともあった。

 

そういう時は、気づかないようにそっと回収したり、

「うちのものがこんなところに置きっぱなしになっているので回収しますね」

と言って戻したり、

帰る時に、

「カバンにこんなの入ってますよ、

これってダイエットのサプリメントですからお母さんはいらないですよね、

こちらでもらっておきますね」

と適当なことを言って回収した。

 

最初は驚いたけど、そのうちにその行動が可笑しくて、

対応を考えるのが楽しくなった。

 

でも最近は、お持ち帰りも減ったかも。

 

2016.6

備忘録 vol.60

備忘録 vol.60

 

子どもが小さい頃、

料理をしながら子ども達の様子が見られるようにと

オープンキッチンにした。

 

で、義母のお世話を始めた頃は

対面にあるソファに座った義母に

キッチンに立っている自分が監視されているようで

それはそれは気が重かった。

 

だけど

今はそういう思いもなく

逆に部屋の中をうろうろ物色して歩く義母に

目を配りながらの料理進行形である。

 

義母の手前、

味見もつまみ食いに見えるだろうと思うと

気を使ってできないことが辛い。

 

何か食べていると、間違いなく義母も欲しいだろうから

味見でさえも口に入れるわけにはいかない。

 

やっぱり、気を使ってるのか…。

 

子供のような義母と過ごす夕方からの時間は

本当に長い。

 

 

2016.6

 

備忘録 vol.59

備忘録 vol.59

 

義母、欲しいと思ったら見境いがない。

 

それが大したものでも、そうでなくても。

 

人の物と自分の物との区別がないというか

欲しいと思った時点で、自分のものにするという。

 

そういうところは、やはり分別のない小さい子どもと同じ。

 

認知症の人が万引きをしたりするというのも

同じ原理かもしれない。

 

今日は、夫が買ってきたお茶漬け10袋入りをお持ち帰りしようとしたので

こちらから声をかけてあげる。

 

「持って行きますか?

でも、10袋は多いと思うので、半分にしておきませんか?」

 

夫は、

「梅茶漬けなんか食べるの?

ここでだしてもらって、食べれば?」

という声かけをする。

 

夫、持って帰られるのが嫌なら、

最初から見えるところに置かなければいいのにと思うが

そういう気が効かないのは、今に始まったことじゃないけど

毎度のことながら見ていて疲れる。

 

そのくせ、義母がお持ち帰りする場面は

パソコンやスマホに夢中で気づきもしない。

 

私はそういうことに目を光らせているわけではないけれど

否応なしに目に入ってくる。

 

知らないうちに、何かが無くなって

知らないうちにお持ち帰りされていたということは

たまにあること。

 

それがハンドタオルやランチョンマットだったり

小物だと気づかないこともある。

 

なので、洗濯物は畳んだら義母が帰宅してくる前に

各自の収納場所に収めることにしている。

 

 

所詮、ここは息子の家だから、

何かを持って帰ることがあってもちっとも構わないんだけど

そんな事にならないように

事前に隠したりして、義母の目につかないようにしている。

 

一応、義母の行動に対して理解はしているつもり。

 

でも、お持ち帰りすることは仕方がないと思いながらも

それもどうよと思っている自分もいて

私は人としての器が小さいのかと悩むこともしばしばである。

 

 

 2016.6